本日は2018年の出来事について書いてみようと思います。

↑2018年 東京旅行をした1月

2018年 学校でお菓子をたくさんもらった7月

↑2018年 大阪旅行をした12月
生まれてから今日まで、人生の中で一番大変だったのは過去のいじめくらいしかないのですが、その反対に「今まで生きてきた中で一番楽しかったのはいつ?」と聞かれたら、「2018年!」と即答できるくらいに2018年の1年間には思い入れがあります。
毎日学校に行って、朝から夕方まで勉強をして電車通学をしていた学生でした。
やっとみんなと同じような学生になれたんだという安心感がありました。
1人で電車に乗るのも楽しかったし、友達と最寄り駅までおしゃべりをしながら歩くのも好きだったし、クラスメイトたちと教室で授業を受けるのも嬉しかったし、先生からおすすめの本やDVDを貸してもらって家で観るのも新鮮だったし、文化祭で放課後に買い出しをしたのもウキウキしていました。
「学校って怖い場所じゃないんだ」と思えて、「他人から見れば、私も普通の学生に見えてる?」と周りの目も気になってしまった、新たな経験が詰まった日々でした。
「制服を着て、友達と歩いて、明日のテスト範囲の確認をし合っている私のことを、周りの人からはどう見えてるのかな。」
「あのサラリーマンは。あのおばあちゃんは。あの店員さんは。
私のことをそこらへんにいる学生だと思って、興味を示さずにただすれ違ってくれてるのかな?」
「そうだったらいいな。みんなと同じでいるって、悪くないよ。」
今ほどSNSに左右されていない、未知のウイルスもいない、周りのみんなが私と関わってくれていた2018年はとても濃い日々で、
みんなと同じに見えていることが嬉しくて、今までしたくてもできなかったことができることへと更新していって、
「あの時死ななくてよかったんだよ」と安心して友達の前で泣いてしまったのも、不思議な思い出です。
2018年に出会った方々とは今でも繋がっているので、感謝です。
そして、あれからもう6年が経ってしまっているのに、「まだ2018年を超える日は来ていないな……。」と過去を振り返っては少し悲しい気持ちが残っています。
今の私が、自分が大学を卒業できたことも、農家と作家の端くれをやっていることも、YouTubeを投稿する側になっていることも、苦手な料理がまあまあできるようになってきたことも、会える友達が減ってしまったことも、人と会うのがまた緊張しいになったところも、2018年の私は知らない。
2018年よりも今の私の方が良くも悪くも成長しているはずなのに、2018年の頃のワクワク感は感じられていない。
2018年がもっと古い過去になる前に、あの頃のワクワクした気持ちが消える前に、今の私の姿で2018年の頃の高揚感を感じたくて。
何をしたら2018年に戻れるのかと、写真を見返してみたりして…。当時の教科書を開いてみたりして…。
それとも、
クローゼットにしまった制服を着てみようか?
電車で学校まで行ってみようか?
先生に連絡してみる?
何かしらの方法で2018年を感じたくなっています。
辛くて目を背けてしまった出来事もあったのに、そんな悲しい出来事も美化されてしまったようで、様々な経験がぐちゃぐちゃに入り乱れて、その残像に恋をしてしまっているような感覚があります。
親知らずを抜いてからの頭痛やらめまいやらでおかしくなってしまったのか、ベッドで横になっては「学生だったから特別に感じていたのか。まだ大人に抗おうとしているのか。戻りたいんじゃなくて、ただ当時の人たちに当時のように会いたいだけなのかな。」と考えながら、頬を腫らせて休んでいました。
悩みすぎたせいか、親知らずの症状とは別の症状(脱力感)が発生してしまい、ただただ悶えていました。笑
2018年に一緒に過ごしていた人たちに今の私と会っても、成長できたとはっきり言えるのかな。と想像します。
みんなはお仕事を頑張っていったり、結婚してる人もいるのかな。
自分だけがのらりくらりしていたら恥ずかしいなと思って、気合いを入れ直して、畑でせっせと作業をしたり、凝ったご飯を作ってみたり、このブログを書いてみたりと、大きな変化はなくとも、小さな行動をしてみています。
あなたにも嬉しくて忘れられない日々はありますか?
それではまた明日お会いしましょう🍎
不定期でYouTubeも投稿しています。(投稿頻度は年に数回ほどでとても遅いです…(^^;))
ですが、たまにひょこっとあなたの前に現れると思いますので、ぜひチャンネル登録していただけるうれしいです。(* .ˬ.)
へばね(またね)