森宮夏遠

実家(りんご農家)の手伝いをしながらのんびり過ごしています

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はじめての経験

最近はこれまでの学校生活を思い出しては懐かしんでいるのですが、本日は生まれてはじめて先生に怒られた日のことについて書いてみたいと思います。

 

私は青森県弘前市で生まれて3歳まで青森県に住んでいたのですが、親の転勤で4歳からの1年間は岩手県盛岡市に住み、盛岡の幼稚園に通っていました。

私が学校ではじめて怒られた場所です。

 

私は左利きでして、小さい頃から左手を使ってお絵描きをしたり、左手でおもちゃを掴んだりしていました。

両親は私が左利きであることについてなにも指導はありませんでしたが、幼稚園の担任の先生は右利きで矯正をするよう指導が行われました。

私が違和感を持ったのはハサミで紙を切る作業で、左手でハサミを持って切っていると、先生にハサミを右手に持ち替えられたことでした。

右手で紙を切っても、切るのがとても下手で悲しくなっていました。

 

そして私はこんな秘策を思いつくのです。

先生が私を見ている時は右手、先生が私を見ていない時は左手を使う。

ずる賢い4歳児が出来上がりました。(-ω-;)

 

 

その後、すぐにバレてしまい、「先生に隠れてすることは良くないこと」と怒られました。

はじめて親ではない人から怒られた経験でした。

もちろん悪いのは私です。

それから幼稚園では左手を使わずに右手を使うように頑張っていました。

ですが、右で慣れることはなく少し苦痛を感じていました。

 

 

世の中は右利きでできているので、左利きだと不便だという理由は今の私はもちろん理解できるのですが、どうしても左が楽だったのです。

 

そして母も左利きなので、私が左利きなのはきっと遺伝だと思い、

「お母さんだって左利きでも生きてるし!」と左利きのデメリットを感じていませんでした。

 

4歳の私は、盛岡という場所、ずるいこと、先生に怒られるというはじめての経験をしました。

 

そして青森県へと戻り、青森県内の小学校に入学しました。

青森県内の小学校では右利き教育はなく、左利きでも問題ありませんでした。

小学校の同じクラスには私ともう1人の女の子が左利きだったので、その子が小学校ではじめてのお友達となりました。

 

右利き矯正を行う教育が今もあるのかは分かりませんが、個人的に思うのは「左利きでも生きていけるよ」と伝えたいです。

右手でスマホを操作したり、右手でりんごをもいだりと自然と右手も使いこなせるようになったので、4歳の私に「左利きだからってそんなに落ち込むなよ~˙ᵕ˙」と言ってあげたいです。

 

これまでの学校生活で先生から怒られるという経験は少なかったので、幼稚園の出来事はとてもよく覚えています。

怒られるという経験は貴重でした(*´-`)

 

 

皆さんは、学校の先生から怒られたことはありますか?

 

 

それではまた明日お会いしましょう🍎

 

 

不定期でYouTubeも投稿しています。(投稿頻度は年に数回ほどでとても遅いです…(^^;))

ですが、たまにひょこっとあなたの前に現れると思いますので、ぜひチャンネル登録していただけるうれしいです。(* .ˬ.)

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