森宮夏遠

実家(りんご農家)の手伝いをしながらのんびり過ごしています

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いつか1冊の本になればいいのになんて思っているけれど、それは慈しんだ日々がりんごの芯にすらなれずに過ぎ去ったものよ。

森宮夏遠、本を作りました。

 

ブログを開いてくださりありがとうございます。

毎日投稿最終日の本日は、こんなお話で終わらせてください。

今までのブログの中で一番長く中身が詰まっていると思いますので、お時間の許す際にゆっくりと読んでいただけますとうれしいです。(暗い内容(いじめ・死)が含まれます。影響されてしまう方は、ご無理なさらないでくださいね。)

 


昨年お話していた創作について。
実は、自作の本を作ってみました。
(本と言っても、印刷して糸で綴じただけの簡単な紙の束なのですが、一応「本」ということでお願いいたします( ˊᵕˋ ;)💦)

そして、この本を読みながら朗読もしました。

 

 

 

ねぇ、ずっとどんな気持ちでいたの?

2023年 9月

私は自分の気持ちを伝えることを決めて、パソコンで文章を打ち始めました。
第1話から第50話までの98ページ(約9万3千字)のこの本は、暗い内容が多くなりました。

いじめの話。
病気の話。
人付き合いの話。
アルバイトの話。
農業の話。
死の話。
まだ誰にも話したことがなかった話を書きました。
このブログを読んでくださっているあなたも、家族も、友達も、まだ誰も知らなかった話。
当時伝えられなかったこと、今伝えたいことを馬鹿正直に書きました。

この9万3千字の内容を簡単に説明すると、
「いじめられてごめんなさい。病気になってごめんなさい。人付き合いが下手でごめんなさい。傷つけてごめんなさい。過去のことをずっと引きずっていてごめんなさい。夢を見てごめんなさい。元気なフリをしてごめんなさい。愛してくれてありがとう。」
というような内容です。

 

まっさらで素直な気持ちだった

私がいじめられた原因は「これが原因なんだろうな」と分かっていました。
授業で将来の夢を書いたのですが、それを書いた紙はクラスメイトによって破かれました。
みんなの将来の夢は会社員、看護師、警察官、教師。
この日本社会を支えている素晴らしい職業たちでした。
私は現実離れしたことを書いていました。

「芸能に関わる仕事がしたい」

(ブログではお話できませんが、芸能に関わる特定の職種を書いて提出しました)
これはおかしい夢だったと後に気づきました。

その後、「顔も声も気持ち悪い」「ブスの自覚を持て」「無能人間」などと言われたことが、最初のきっかけだったと思います。

その時の私は「クラスメイトたちは正しいことを私に教えてくれたんだ」と感謝のような気持ちを持っていました。

 

その正しい言葉たちは少しずつ度が過ぎていきました。

「死ね」や「殺されろ」は毎日。

顔を殴られた日。

学校の公衆電話で「死ななくちゃいけない」と泣いた日。
いじめた人に「じゃあ一緒に死んでくれるの?」と感情を出した日。

このブログで詳細を書くことができないほどの出来事が、長期間にわたってたくさん起こりました。

 

幸せ

私は、いじめの詳細を大人になってから人に話しました。
当時、いじめられていることを家族に隠していたら、それが病気として現れて隠すことができなくなった時に、「いじめられている」とだけ話すことはできました。
ですが、どのようにいじめられていたのかの詳細を話そうとするたび、息が詰まり、めまいがして、気を失うという日々が続き、「詳細を言うのは今はやめておこう」と決めて学生時代を過ごしました。
病院の先生にもカウンセラーの先生にも詳細は伝えられませんでした。
いじめられているのに「私はいじめられていない」、クラスに友達がいないのに「私には友達がいる」、学校が苦痛なのに「私は学校が楽しい」と思い込みながら学校生活を送った結果、病気の症状が現れました。

 

これらを経てのいじめのお話を書きました。

いじめられた原因も自分なりに考えてまとめてみました。
ただ…このブログで公にはできないほど、内容は生々しい言葉ばかりで溢れてしまいました。

このいじめが、数年後の教習所という場にまで続いていたことを目の当たりにした時、終わりがない苦痛にさらに悩まされたきっかけになりました。
私が運転が怖く感じてしまう理由はここにあります。

今でも、自分が情けない人間だと自覚する日々を過ごしています。

 

最近はより怖くなっています。
生きることの辛さ。
死ぬことへの興味。
あなたと出会う夢。
寂しさを覚える夜。
りんごが姿を消す冬。
あなたが消える未来。
生活のすべてが怖くて、助けを求められなかった自分も嫌いで、どうすれば良かったのかすら分からずに我慢した日々は、今も苦しさが残るままです。

ですが、この怖さと向き合っている今は幸せだとも感じたりします。
過去は、幸せだと胸を張って言えませんでしたが、今はいじめられていませんし、私に死んでくれなんて言う人は近くにいません。
「私は幸せです」と少しだけ胸を張って生きてもいいんじゃないかと思ったりしています。

 

言われたかった言葉

驚かれるかもしれませんが、私はいじめに遭う前は今の姿からは想像ができないほどとても元気で明るい人間でした。
友達もいて、一緒に遊んで、笑い合い、どこへ行くにも楽しくて、新しい体験をすることは楽しいことだということを子どもの頃に知っていました。
誰かが私の名前を呼ぶと私は笑顔でその人に駆け寄れるほど、人を信頼し、人を愛していた子どもでした。


そんな純粋無垢な時代の自分と真逆の日々を過ごしてしまった今の自分は、人として、大人として、誇りを持てる人間なのか、関わった人に悪影響を与える人間なんじゃないかと、そう思わざるを得ない出来事が立て続けに続いてしまいました。

どうすれば昔の無邪気な自分に戻ることができるのか、どのようにみんなと楽しく接していたのか、今の私は忘れてしまいました。

その結果、人を避け、前を向くことに疲れ、会話をすることが大の苦手になってしまいました。

当時から今も変われずにもがいていることは、「人と繋がること」です。

人と話すと胸がドキドキして、声が震えて、黙ってしまうことはずっと変わることができません。

「昔はできていたことが今はできなくなってしまった」ことに悲しくなります。
それでもなんとか、ここまで生きてきました。
あなたにこのブログを書いて伝えることができるまでに少しだけ成長できたと思っています。

 

私は「ありがとう」と言われることに慣れていません。
ありがとうと感謝されるような人間ではないと思っているからです。
周りの方は私に「優しくしてくれてありがとう」「美味しいりんごを作ってくれてありがとう」「出会ってくれてありがとう」と言ってくれます。
私は「そう言ってくれてありがとう」という言葉と同時に、「その言葉は私じゃない人に伝えてあげて」と思う気持ちもあります。
最近は「ありがとう」と言われた時はそのまま素直に受け取り、「ありがとう」と感謝を返していくことを心がけるようになり、少しは成長したのかなと感じています。

私はありがとうの中でも、「出会ってくれてありがとう」と言われるのがうれしくなるんです。
「出会ってくれてありがとう」なんて言われたら、なんだか照れてしまうじゃないですか。
そんな言葉を恥ずかしがらずに言ってくれるなんて、素敵な方だなと。
私はそう言われると、照れてしまい相手のお顔を見られなくなってしまいます。
そんな自分が情けなくて、でもうれしくて。
「ありがとう」と言われると涙が出てしまいます。
感謝されることに私はまだ慣れることができていませんが、これから少しでも感謝されるような人間にならないといけないと思っています。

そして、私も「ありがとう」をたくさん伝えていきたいです。

 

津軽とアイドル

暗い内容ばかりだとどんよりした気持ちにさせてしまうので、途中に少し明るめの変なお話も書いてみました。
ちょっとした恋の話。
不思議な空想の話。
短い詩。
やりたいことの話。

番外編の内容は、私の頭の中のちょっと不思議な話を書いてみました。
ほんの少しだけクスッと笑っていただけるような内容になったのではないかなと思っています。

 

アイドルについて触れている話もあります。
女の子同士が仲間になって歌って踊っている姿をテレビで見た時は、幼いながらに感動していました。
もちろん、お互いライバルであったり、切磋琢磨しながら活動していたり、私たち視聴者側には見えない苦悩があることは、長年アイドルのみなさんを応援してきましたのでそこは私も理解していますが、「アイドルになった彼女たちが苦楽を経て仲間となり、卒業をして友達になる」というアイドル人生に私は不思議な感覚と楽しさを知りました。

「理解し合える仲間がいるっていいな」

これが私がアイドルを好きになった理由にもなっています。
最近は私よりも年下のアイドルも増えてきまして、「娘を見守る時ってこんな気持ちなのかしら(*´ `*)」と私もアイドルを応援する目が良い意味で変化してきたと感じている最近です。


そしてちょっとした短編の小説も書いてみました。
舞台は青森県平内町。
平内町に住んでいるおじいさんと若い女性の物語です。
素人なので上手な構成ではないのですが、いつかあなたに読んでいただく日がきてくれたらうれしいなと思います。

 

怖いりんごが落ちた日は

毎年、親戚のみんなが集まってりんご作業をしていたので、農業はずっと身近にあった存在でした。
それでも、私は農家になりたいと思うことはありませんでした。
農業に魅力を感じていないのではなく、自分の代で今までの歴史を壊してしまう怖さが大きいからです。
少し前までは、目の前にあるりんごの木や家族の存在がとても遠くにあるように思えてしまい、そこに手を伸ばすのが怖くて農業から目を背けていました。
りんごを食べたくないとまで思ったこともありました。

 

今も、農家になりたいかと聞かれたら、私は「絶対に農家になりたい!」と大きな声で宣言ができません。
これを伝えることは、長年農業で生計を立ててきた家族にも、現役で農業界を支えている方々にも、将来真剣に農家になりたいと考えている方にも、とても失礼なことです。
それでも私はなぜか、家族の手伝いをしたいと思ってしまう矛盾を抱えています。

そんな私が今、家族に向けてどのような言葉を伝えて、どのような行動を取るのが私なりの生き方になるのかを、本に綴りました。

 

表現者

14歳の秋。
我が家で作ったりんごを食べた時、美味しさよりも儚さを覚えました。
「食べたら一瞬で消えるのに、この一瞬のためだけに家族は毎日働いているの?」
そう思った14歳から何年、季節は移り変わったでしょうか。
私は今もずっと農業から目を背け続けていますが、農業は私がずっと求めていた「表現者」だと浮かんだのです。
そう浮かんだ時、農業を見る目が少しだけ変わったことを覚えています。
なぜか、とても安心しました。
私が生きてきた中で唯一興味を示した「芸能の仕事」は、農業と同じジャンルだと、安心した気持ちを持ちました。
職種はたしかに異なります。
芸能の仕事=農業だなんて、結びつけるには無理があります。
それでもなぜ私はこれらを同じジャンルだと思い込んで安心したのか。
まだその答えは出ていません。
ただ、私も、あなたのお仕事もあなたの趣味もあなた自身も表現者なのではないかと思っています。
そんな表現者の私たちはどのように生きていく術を見つけていくのか、その物語に私は興味があります。

 

 

繋ぎ止めておきたいほどに

2024年 お正月
私は完成したこの本を家族や親戚に渡しました。
この本を読みながら7時間ほどの朗読もしたので、聞きながら読んでもらいました。

なぜ今更こんなことを書いて朗読までしたのか…。
私にもよく分かりません。
もう私は大人なのですが、大人とは感じられない内容だと思います。

本の最後の文章は明るく終わらせてたつもりです。
ですが、これを書いて読んでもらったからといって、今の私には何も恩返しができていないなと感じたりしています。

このブログでははじめて書くのですが、私は死に対する気持ちが心の奥底に少しだけあります。
道を歩いている時に「また知らない人に殴られたらどうしよう」など、怯えている気持ちもあります。
心の中ではそんなことを思ってしまう私ですが、そう思いながらも、私はたまに誰かとお話したり、たまに楽しいことをして、ご飯を食べて生きています。
このような自分の中の違いに、区別がつかず胸が苦しくなり、「あの時の苦しい日々にまた近づいているんじゃないか」と怖くなります。

「なにも起きない幸せな日常のままでいたい」という気持ちに縋っています。
平凡を望んでいたのに平凡な生活を送ることができなかった悔しさと、この先の人生に明るい希望を持ってしまう愚かさを天秤にかけている今の日常がとても不思議に思っています。

 

 

涙は過去の宝物

この本をみんなに渡してからの私は、よく涙が出ています。
思い出して泣く、ご飯を食べながら泣く、寝ながら泣く、本を読みながら泣く…。
(泣くといいますか…静かに涙が数粒出るだけです…。笑)

「どうしてこんな目に遭ってしまったのか…」
「どうしてこんなに人付き合いが下手なのか…」
「どうして切り替えられないのか…」
「でもこんな状況で死ななかったのはすごいかもしれない…」
「こんな夢を書いてしまったけど叶うのだろうか…」
「歴史のある我が家に生まれたのがこんな私で良かったのだろうか…」
と、不安と重圧で泣けてきてしまうのでしょうか。

それでも、自分の書いたこの本がなんだか好きです。
毎日読んでくれている人もいるそうです。
私がいる前で、一人はページをめくる手が止まり、一人は静かに涙を流し、一人は私のことを抱きしめ、人それぞれ違う感情を持ったこの言葉たちに心を向けてくれました。

 

まだ知らないあなたと

私はいつか…まだ知らないあなたに会ってみたいです。
あなたにお会いして「一緒に生きていこうね」と言いたいです。

ですがそう思うと同時に、あなたに会うことは怖いとも感じてしまっています。
その矛盾にまたイラつき、いつまでも進むことを怖がってしまう自分がいることに疲れてしまいます。
この数年は、私に会いたいと話してくださる方が少し多くなり、「なにも話せないのにどうして会ってくれるの?」と思ってしまいます。
お会いする方もいますが、断ってしまうこともあります。
それは「嫌われてしまうかも」「怖い目に遭うかも」とトラウマが抜けないからです。
あなたのことが怖いのではなく、出会った後の関係性の変化に怖さを感じてしまっています。
人と関わる度に、これから起こるかもしれないトラブルを事前にいくつも想像する癖がついてしまい、一歩が踏み出せません。

私があなたと関わってしまうと、あなたの人生を台無しにしてしまうと思っています。

あなたと関わって良い人間なのか、自分の存在の意味を考えてしまいます。

私は会いたい人や気になる人がいても、遠くから見ることしかできていません。

このインターネット上では、あなたとは距離がある状態ですので、怖い気持ちというものはありませんが、あなたがこのブログを見つけて読んでくださって、「私のことを知って嫌な気持ちになっていないかな…あなたが苦しい思いをしていないかな…」と不安な気持ちがありながら文章を書いています。

 

「「会いたい」というありがたいお言葉を無駄にしてしまってごめんなさい」という気持ちと、「あなたに会いたい」という気持ちで心が揺れてしまいます。
そしてあなたから素敵な言葉をいただくたびに「あなたになにも返すことができなくてごめんなさい」と申し訳なくなります。
私がそう思うほど、今このブログを読んでくださっているあなたを含めて私の周りにいる方々は、とても優しくて素敵で素晴らしい方々です。
私はみなさんに感謝してもしきれないほどの愛情をいただいていると感じています。
私は早くあなたに愛を返せるような人間になりたいです。
ですが…絶対に愛を返せる人になります!という宣言を今日もできなくてごめんなさい。
私にはまだ自信と覚悟が足りていません。

私の頑張りや結果は私にもあなたにも役に立っていないこと。
優しさだと思っていたことは実は傷つけてしまっていること。
自分の感情に向き合うことやあなたに接することが不器用になっていること。
本当にごめんなさい。

いつかあなたとお会いできる日がきましたら、少しでも自信を持った姿でお会いできるようにがんばります。

 

 

会えたらいいな9人に

私は行きたい場所よりも会いたい人の方が多いです。
今の私には会いたい人が9人います。
友達。
先生。
お互いの存在を知っている人。

疎遠になった人。
私のことを知らないであろう人。

その9人に私は会ってみたいです。
「はじめまして」「久しぶり」「あの時はありがとう」「あの時はごめんね」と、言いたいのです。
でもやっぱり…まだ会う勇気が出ません。
「遊びに行こうって私から誘っても大丈夫かな」「この前私が断っちゃったから、誘っても断られるよね」「私に会っても楽しくないよね」「この前悲しい顔見せちゃったからきっと嫌な気持ちになってるよね」など、9人ひとりひとりにたくさんの感情があります。
見た目には現れていないかもしれないけど、私は毎日、誰かのことを考えています。
私は人と関わるのが怖いと思っていますが、幼い頃に人と関わって楽しかった思い出はまだ残っています。
私は、「〇〇先生や〇〇さんや〇〇ちゃんに会いたい。でもやっぱり怖い。」を繰り返して止まったままです。
それでも、「もう先に進まないとみんながいなくなってしまう」と思っています。
なるべく早く、お会いできる精神と環境を整えて会えるようになりたいです。
この9人と会えるのは、2024年になるのか2034年になるのか…。
2054年になっても2074年になっても、私はその人との交流が続いているのか…。
そんな先の未来に、9人は私とどのような関わりを持っているのか、先のことも気になったりもします。

これから先、会いたい人が今の9人よりも減ってしまうかもしれませんし、増えるかもしれません。

もしかしたら私はもうこの世にいないかもしれません。
その時、私と交流があった人はどんな気持ちになるのか。
かなしいより、うれしい思い出だったらいいな。
さみしいって思ってくれるかな。
そんな関わりができたらいいなと思っています。

そんな9人がこのブログを読んでいるかは分かりませんが、お会いできた時は『会うのが遅くて待ちくたびれたぞ〜』と笑ってやってくださるとうれしいです。

その瞬間の私は、やはり照れてしまいあなたのお顔を見られなくなっていることでしょう。

 

岩木山とささくれに叶わぬ夢

小説でも日記でもない、ジャンルにハマらないこの自由な文章。
不思議で、不気味で、伝わりにくて、でもちょっとだけ笑ってしまう、このおかしな言葉たち。
生まれてはじめて自分で書いて完成させたこの1冊は、私のこれからの人生に必要なものになることは間違いないと思っています。

 

私は生きた証のようなものを残しておきたいという気持ちがあります。
いつかまた…新たな文章を書いてあなたに読んでいただけるようなものを作ってみたいなと…。
詩集なのか絵本なのか小説なのか自伝本なのか、今の私には全く想像もできませんが、そんなことも思ったりしています。
「出版」なんて言ってしまうと夢が大きすぎて気持ちがついていけなくなりそうなので大きな声で宣言はできませんが、長く遠い夏を越えた先にまた生み出すことができたら、私の生きる理由のひとつになってくれるのではないかなと思っています。

 

今回の本は特別な一冊目です。

2冊目が完成するのは、5年後か10年後か、もっと先になるでしょうか。

その時がいつか訪れてくれたら、あなたは読んでくださいますでしょうか。
その時が訪れなくても、あなたは私のことを知ってくれてうれしい気持ちになってくださいますでしょうか。
生きていくことも夢を叶えることもとても難しく長い道のりですが、今あなたがここまで読んでくださったことを忘れずに私は生きていきたいと思います。

 

自信をちょうだい

死にたくなる辛さではなく、生きていかなければならない辛さというものを抱えて生活をすることは修行のようです。

昨日までの約1ヶ月間のブログは暗い話題がなく、それなりの生活を楽しんでいるブログになるように心がけて書いてきました。
できればこれから先も明るめの話題が多くなるようにのんびり活動できたらいいなと思っているのですが、私も人間なので落ち込むこともあります。
本日のブログのように悲しい話をちょこっと書いてしまう日がまたあるかもしれません。

 

私は、今の自分で過去の自分のことを殺したいのですが、殺すこともできずに長い間、表面では前を向いて過去を振り返らない姿を見せられるよう努力してきたのですが、ふいに悲しみに暮れることがあります。

そんな日々を過ごしていても、私は小さな変化を繰り返してきました。

人は成長して、変化をしていきます。
もしかしたらこの先、「今まではブログを読んだり動画を見てたけど、もういいかな」と、あなたが私のこのコンテンツから離れる時がいつか来るかもしれません。
ずっといてくれる人もいれば、離れる人もいます。

今まで好きだったものが、苦手になったりもします。
成長というものは、そういうことだと思うんです。

今これを読んでくださったあなたが、この先、私のことを見ることがなくなったとしても、「そういえば昔、農家の娘のかえんって子がいたな〜」と、遠い昔の思い出になっていたらうれしいなと思っています。

 

正直に言ってしまいますと、私は本を作るという夢以前に、このブログや動画を作り続ける自信がありません。

今の私は、立派なりんご農家です!とも言えませんし、健康に生きています!とも言えませんし、ポジティブな人間です!とも言えません。
私が農家の元に生まれたのは偶然で、農家の娘がたまたまこんな人間だったというだけであり、農家の娘としての努めなんてなにも果たせていません。
農業について学び、実際に畑仕事をしながら、私が農家の一員でいいのか疑問に思うほど無力だと感じることが多くあり、先人たちや現代の農業を引っ張っている先輩方はどのように目の前のことに向き合っているのか、尊敬の念に堪えません。
私は、人になにかを教えられるような人間でも、あなたから褒められるような生き方もしてきておりません。
私が農家という看板を取ったら、過去から今にかけての経験話くらいしかあなたに伝えることができません。
自分の武器は、このような文章を書くだけです。
これだけでもいいのでしたら…人間性の高い人になれるよう努力を続けながら、これからもあなたに読んで見ていただけるようなお話や動画を細々と作ったりしてみたいです。


森宮夏遠としての私の長い目標は「ブログと動画をのんびりと続けること」です。
内容はこれからも様々で、ブログでは最近起きた出来事や過去の話。
動画では年に数回、一人で喋ったり、どこかへ行ったり、りんごをもいで食べているだけのはずです。

その遠い先に「本を作る」という目標にいつか辿り着けられたらいいなと思っています。
本を作ることに関しては絶対に叶えたいというほどの強い願いではないのですが、1人だけでも私の書いたものが届いてくれたらいいな〜というふんわりとした夢になってます。
そして、家族と美味しいりんごを作り続けたいです。

 

まだもうちょっとだけ…

私は最近になってやっと、「文章を書きたい」「本を作ってみたい」「芸術的なことでなにかをやってみたい」「でもりんごもずっと作って食べていたい」と家族に伝えました。
なんだかとても恥ずかしかったので、カタコトな小声で伝えたと思います…。

私が体調を崩しやすいので、このやりたいことが続くのかを家族はずっと心配していると思います。
やりたいことを言えたことはとても成長した部分だと思っていますが、「心配しないで」と私はその時、家族に言えませんでした。

やっぱり私はまだ弱いままです。

 

「もう無理だ」「やりたくない」と思った時が、夢の去り際なんだと思います。
その日が来るか来ないかは分かりませんが、今現在の私は「まだもうちょっと続けてみようかな」という気持ちです。

 

頻繁にあなたの前に現れることは難しいと思いますが、きっとひょっこりと出てくると思いますので、こんな私ですがこれからもたまに覗きにきてくださるとうれしいです。
もし私がいなくなっても心配はしないでくださいね。
このコンテンツがなくなっても、私は日々一生懸命生きながら、りんごを食べていると思います。
もしいつかいなくなる日がきたとしても、その日がくるまではこの場所での思い出を作っていきたいです。

 

続いていく

私は遺書を定期的に書いているのですが、新しい遺書を書く時は過去の遺書を処分することを繰り返しています。
はじめて書いた遺書には、いじめた人の名前を全員分書いていました。
その遺書を捨てるに至るまで、長い苦労を重ねてきたと思います。
最近書いた遺書は、はじめて書いた遺書とは比べ物にならないほど内容が変わってきました。
SNSなどのパスワードや、私と関わってくださった方全員への感謝の想い、家族についてきた嘘への謝罪。
遺書を書き終えると毎回、「もういつ死んでもいいや」とスッキリするのです。

 

それでも、生活は続いていきます。
毎日、ご飯を食べて、勉強をして、畑で手伝いをして、詩を書いて、アイドルを応援して、好きなものを買って、夢を持って。
こんなことをしていると、なかなか死ぬことはできません。
自然と今も、生きていくことばかりのことを考えて生活をしている現状です。
その先には、一体なにが待っているのでしょうか。
出会い、別れ、変化。
この先も様々な出来事がやってきた時、私はまた乗り越えることができるのかとても不安ですが、両親より1秒だけ長く生きることができればもうそれで良いとも思っています。

 

私は最近になってやっと、「生きてて良かったかも」とほんの少し思えるようになってきました。
りんごの木に囲まれて、家族がいて、会いたい人がいて、あなたがいてくれているから。
死ななくて良かったと思えるようになってきました。
たまにまだ少しだけ気持ちが揺れ動く日はあるけど、それでも「あともうちょっと生きてみよう」を繰り返して生活できています。
あなたのおかげです。

本当にありがとうございます。

 

あなたへ

このブログでは本の内容をチラ見せしかできませんでしたが、私はいつか大切な方ができましたら、その方にこの本を読んでもらいたいなと思っています。

朗読を再生して、私の声も聞いてもらいたいです。
今このブログを読んでくださったあなたが、私の近くにいて親しい大切な方となったのなら、いつかあなたにも全文を読んで聞いてもらえたらいいな…と思っています。
あなたがこの本を読んで私のイメージが変わり、あなたが私から離れたとしても、より繋がることができたとしても、私はあなたと出会ったことを誇りに思うでしょう。
あなたと直接お会いしたことがなくても、お互いのことを深く知らなくても、私はあなたのことを好きになるでしょう。


あなたは今、どのような場所で生活をしていて、どのような感情で、私のこのブログを読んでくださっているのでしょうか。
あなたは私のこのブログにどのようにたどり着いて、ここまで読んでくださったのでしょうか。
私は、あなたのお名前もお顔もお気持ちも知ることができません。
あなたがどのような方なのかも私には分かりません。
あなたがどのような困難を乗り越えて命を燃やしてきたのか、私には想像することもできません。
あなたのことを知ることができず、ごめんなさい。

 

いつか、私があなたのことを知る日がやってきますでしょうか。
あなたのことを私に教えてくださいますでしょうか。
その日がやってこなかったとしても、あなたが私のブログや動画にたどり着いて私を見つけてくれて、あなたと繋がることができたことをとてもとてもうれしく思います。

 

 

長い前置きとありがとう

1ヶ月間毎日投稿していた理由は、すべて今日のブログを書くためでした。
今日のブログのためだけに、日常のほのぼのとしたお話に29日間も使ってしまったこの期間は前置きとしては長かったですよね…。
今日のブログに今までで一番の心情をお伝えしたかったため、この29日間のブログは短い文章と写真で簡単に書いてしまいました。
「今回は中身が適当になっているな…」と自覚していました。
ごめんなさい。
面白い話もなく、飽きてしまった方もいたことでしょう。
それでも、毎日かかさず読んでくださった方もいてくれたことを私は知っています。
ありがとうございます。
感想をくださった方もありがとうございました。
昨日までとは打って変わったブログですので、最後にこのような内容で終わらせるのは大丈夫かな…と私も疑問に思ったりもしますが、この内容以外に私に書けるものはありませんでした。

 

私のことを一番古く知っている方は数十年以上も経っています。
直近で出会った方ももう5年ほどのお付き合いになるでしょうか。
森宮夏遠としても長くて2年ほどのお付き合いになる方もおられますでしょうか。
動画を初めて投稿したのは約2年前。
「自分を変えたい」と当時の私は思ったのでしょう。

2年が経ちましたが、私自身が大きく変化したことはまだありません。
なにも変わらないまま年だけを重ねているようで不安になりますが、人生はそんなかんじで進んでいくのでしょうか。

動画投稿を始めた頃はやはり誰にも見られませんでしたが、「自分の経験はいつか数十年先の誰かの役に立つのかな」という疑問と期待を持ちつつ、やってみました。
役に立たない人間だと言われていたのに、役に立ちたいと思ってしまう往生際が悪すぎる私は、少しでもあなたの役に立っていますでしょうか。

 

ブログも動画の量も増えていませんが、100人以上の方が見てくださっていることは明らかな変化でした。
100と数字で書くにはあまりにも軽すぎてしまいます。
私の目の前に100人の方々が立っていると想像すると、胸が詰まります。
本当にありがとうございます。
100人を超えるみなさんのひとりひとりの生き様に私も置いていかれないように生きていきたいです。

話すのは下手すぎるのですが、私はこのように文章にして書くことは昔から好きなことでした。
これが唯一私ができることで、自分のことを発信できるツールができたことは私の財産です。

動画に関しては、全てにおいて下手ではありますが、ちょっと楽しかったりします。

その気持ちを大切にして、また撮って編集をして、自分なりに楽しみながら、これまで通りののんびりすぎるペースで投稿してみます。

 

こんな私ですが、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

 

もりみやかえんの詩

いつか1冊の本になればいいのになんて思っているけれど、それは慈しんだ日々がりんごの芯にすらなれずに過ぎ去ったものよ。

りんごの芯の役目なんて腐り散るだけなのに、どうしてあなたは過ぎ去った木々に花を咲かせて赤くなるのかしら。

私の背より高く実ったあなたは誰のもとへ旅立つと言うの?

所詮、りんごなんて地に落ちるのだから、本にでも挟んで赤く染めてあげたいわ。

森宮夏遠

 

 

 

へばね

今までの感謝とこれからの愛を込めて、本日で1ヶ月間のブログを終わりとさせていただきます。

最終日はとても長くなってしまいました…。

読んでいて疲れてしまった方がいましたら、あたたかい飲み物を飲んでゆっくりしてくださいね。(っ¨̮)⊃🍵ドウゾ
最後まで読んでいただきどうもありがとうございました。

 

1ヶ月…早いものですね。
「次はどんなブログや動画にしようかな」「また日が空いちゃって待たせてしまうかも」と次のことをふんわり考えている今です。

次のブログも動画もまだなにも作っていないので、また時間がかかりそうです…。💦

 

お互い、これからも生きていきましょうね。

1ヶ月間お付き合いいただきましてどうもありがとうございました。
それではまたここでお会いできたらうれしいです。
へばね‪‪(またね)

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