森宮夏遠

実家(りんご農家)の手伝いをしながらのんびり過ごしています

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閉鎖病棟入院生活🏥

いじめに耐えられなくなってしまった結果、

自分の名前を覚えていない。
ひらがなカタカナが書けない。
数秒前のことが思い出せない。

ということがあり、日常生活に支障をきたすようになりました。

思い出す時もあれば、また忘れてしまったり…。

そんな中で閉鎖病棟に入院しました。


私は1ヶ月ほど入院していました。
入院中の私の1日を紹介します。

 

一日の流れ

06:00起床。
朝起きたら顔を洗ったり歯を磨きます。
そして朝ごはん。
病院食は…美味しいとは言えなかったかな…。
そしてラジオ体操。

部屋の前の廊下でみんなで体操をします。
そのあとは、検査をするために看護師さんに連れられて病院の中を回っていました。

心理検査や脳波検査などです。

心理検査は問題数が多く時間がかかった記憶があります。

絵を描いたり、スタッフさんが読んだ数字をどこまで覚えて言えるか…みたいなかんじでした。
戻ってきたらお昼ご飯。
中学生だったので午後は勉強の時間があります。
学校の教科書を使って問題集を解いていました。
担任の先生からプリントをもらっていたのでそれも解いていました。
私はお菓子の制限はなく、看護師さんから「少しだけならいいよ」と言われていたので、午後の3時にちょこっと食べていました。
ポッキーとか板チョコを食べていた気が…。(笑)
暇な時間は、テレビを見たり、同室の方とお喋りをしたり…のんびり過ごしていました。

部屋の窓は数センチしか開けられないようになっているのですが、初夏だったので、午後になると部屋の中がまぁまぁ暑くて、窓の隙間からの風を浴びていました。

夜ご飯を食べて、薬を3種類飲んでいました。

(3種類全ての名前が思い出せませんが、このうちの1つはジプレキサでした。)

21時に消灯なのですが、その間は暇なので雑誌を読んでいました。
ニコラとセブンティーンを3冊ずつ。

永野芽郁ちゃんや広瀬すずちゃんがモデルだった時。
看護師さんに「懐かしい、私もニコラ読んでたなぁ〜」と話しかけてくれたことを覚えています。
これは入院中嬉しかった話。
ウォークマンで音楽も聴きながら。
私は自傷行為がなかったので、有線イヤホンやメガネを使ってもOKでした。

当時はスマホを持っていなかったので唯一の娯楽でした。

お風呂は週に2回。
汗かきなので、毎日入れなかったのは結構辛かったかも…。

 

家族との面会

家族との面会にも時間が決められています。
私の家族は定期的に来てくれていたのですが、バイバイするときは結構寂しかった記憶があります。
でも次の日も来てくれてたんですけどね。
着替えを持ってきてくれたり、ちょっとしたお菓子を買ってきてくれました。

 

夜はちょっとだけ怖い…

私がいた部屋は保護室から少し離れてはいたのですが、ドンドンと大きな音が響き渡り、叫び声がたまに聞こえてきます。
その音でびっくりして起きる時もありました。
少し周りが騒がしい日は、イヤホンをして音をシャットダウンして寝ていました。

 

トラブルはありましたが、それ以外はのんびりと過ごせていたと思います。

入院中は記憶をなくすことはなく、退院後はゆっくりと日常生活を過ごせるようになりました。

 

退院後の気持ち

退院日には看護師さんから「もうここに来ちゃダメよ〜‪˙ᵕ˙」と言われたので、「来ないように頑張ります!」と伝えました。
今も、もうあの空間には戻りたくないな…と思っています。
そう思えているということは元気になった証拠でもあるのかな。

 

「入院して良かった」という気持ちは、正直に言ってしまうと今も思ってはいません。

学校にいても迷惑をかけたし、入院をしても迷惑をかけてしまった。

入院をして調子が良くなったというよりは、入院したことによって、「生きていることが良くないんだ」とより強い思いに変化した気がしました。

そして、迷惑をかけて申し訳なかったという気持ちと早く退院しないといけないという気持ちで、病棟から逃げるように退院してしまいました。

 

明日はいじめについてのお話をしたいと思います。